なんか知らんけど砂の器




やってる。


加藤剛の編は何度も見た。
今放映中のはリメイク版って言うのかね、
時代も細かな設定も変更されてる。
男女の精神的力量が、
昔と現代では描き方だいぶ違うなぁ。
つーか設定を盛り込み過ぎで
ゴテゴテしすぎw
いろいろ酷すぎる(゚∀゚)



でもさ、
この話って今旬の、、、ほら(´-`*)


テーマは背乗りと言っても間違ってなさそう。
身近で殺人の疑惑が湧きあがったり、
成り上がり身の丈に合わない生活、結婚。
嘘吐いて嘘の上塗りして、
世間を欺き通そうと、
また更に嘘をつく。


ほーら、
旬のあのLetItBeさんとかぶるよね、
テレビメディアがこの作品を放映するのって
どういう意図があるんだろうね!


原作はM本シ青弓長ね、
確かに感動的ではあるけれど、
そんな生い立ちなのに、
いつピアノの能力付けたんだろう?
ってずっと思ってた。
父親と放浪の旅のさなかに、
通りすがりの小学校でピアニカ手に入れ
吹く場面もあった。
音楽的才能がその頃から有ったと
暗喩だろうか。
にしても突拍子もない設定じゃない?


同作者の作品で鬼畜と言うのがある。
これはまともに見てられない、
本当に鬼畜の所業な大人の話。


親と子の愛憎は釣り合った天秤だ。
砂の器で施設に入院中の父ちゃんも、
養父を頃舌ピアニストになった背乗り男も、
鬼畜で警察に保護された坊やも、
愛するがゆえに肉親を否定する。
愛することで自己が揺るがされ、
失うことを恐れ憎しみを抱く、
憎み切ろうとしても愛の重さに
天秤は揺れ動く。


愛憎の天秤を揺らしたまま
人は行動を起こす。
どんな事態が起ころうと、
人の親は子のありのままを受け入れる。




女の言いなりで妾腹の兄妹を
がけから突き落とし殺そうとした。
坊やの方は助かったが、
妹は死んだ。
警察に保護された坊やを、
連絡を受けた緒方拳が迎えに行く。
生きていてホッとしたことだろう。
そんな感じの演技だった。
ここでも愛憎が見える。
身に降りかかったことが父と女の犯行だと
感じとっている息子であろう。
様々な虐待を受けても、
自分の父を愛する心も残り、
一方で何故?と憎しみも抱いたろう。
ホッとした顔で父ちゃんだよ、
と言われても、
「父ちゃんなんかじゃないや!」
とベソをかき洟をすする。
この場面で号泣だ。
ぼく男の子でしょ、
強くならないとダメよ、
泣いちゃダメ、
みたいなことを言う婦警の大竹しのぶ
なんと救われる事か。
あの「父ちゃんなんかじゃないや!」
には、
虐待する男が父な訳ない、ということと、
父と言ったら父に咎が行くということも
あの賢い坊やなら分り切ってたんだろう。
その愛憎を嫌と言うほど見せつけられる。



ピアニストで大成するだろう子に、
籟の自分が父だと知られたら、、、
そんな思いで、


「そんな人は知らねぇ!」


と絶叫して泣いた。
あの加藤芳の演技でこっちも号泣。
養父の緒方拳は、
(嗚呼こっちは善人役かw)
愛憎の天秤を釣り合わせる親子に
執拗にかかわり過ぎたと思われる。
確かな善だったのだ。
彼には子がいなかったので、
親子の愛憎の天秤がわからなかったのだろう。



愛憎の天秤のつり合いで、
人生は保たれている。
愛に傾いたり憎に傾いたり。
でも釣り合っているのだから、



背乗り!絶対ダメ!