今朝、寝覚めの夢は一週間


テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ~
テュリャテュリャテュリャテュリャリャ~ァ~~~


である。


なんで?


なんで寝覚めにテュリャテュリャテュリャテュリャリャ~?


確か幼稚園で習ったのだった。
その不思議でエキゾチックな歌詞では、
我が家や日本の背景を感じられなかった。
脳裏をかすめる異国の生活、
長い一日を断片的な単発な事柄だけを
埋め尽くす歌詞。
通常朝起きて~ご飯食べて~
遊んだり本読んだり歌ったり、
そして昼ごはん、昼寝して、
買い物行くお母さんについて行き、
玉ねぎ剥いたり、
ほうれん草つくったり、
幼い弟とお風呂に入って、
夕飯食べてテレビ見て、
床に就く。
そんな1日は長いのに、
お風呂を沸かして入るのに2日を要する。
週末に至っては、
糸巻きもせず、翌日はおしゃべりばかり。
そんな短いような長い一日を
こんなに短調でありながら陽気なメロディで
歌い上げるのか?と
摩訶不思議な思いがした。


その歌で目覚めるなんて。
今日は火曜日だよ、
お風呂に入る日だ。
だが3連休明けの出勤だ。
テュリャテュリャしながら床から這い出る。
今日一日をどう過ごせばいいんだい?


しかし不思議な歌だ、
なんでこんなに生きてきて、
今までこの歌の不思議さに少しも
思いを至らせなかったか。
曲調からしロシア民謡だろうとは
薄々感じてはいた。
仕事から帰宅して夜も更けてから、
ついさっきググってみた。
確かにロシア民謡だ。
そしてやはり、
この歌を不可思議に感じてる人々が
如何に多いかわかった。
様々解説が出ていた。
ありきたりなものもあれば、
独自な発想豊かなものもあった。
色んな考察してる人がいるもんだ。
私は今朝、
寝覚めの夢見では、
ふと、
人の一生なのでは?
という考えがよぎったのだ。
今この記述は、
忘備録なので、
なぜに一週間の歌を人の一生を歌った、
と考察したかは後日。