雷雲発達中

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西の空が怪しい…
今日は午前中天気良さそうな感じしたけど、
空気が冷たかったから来るとは思ってたよ
(´∇`;)

昼頃地震があったドスンと揺れてその後カタカタ横に振動したよ(゜Д゜;)

311…あの日はその後もずっと揺れていた、おかしい!?と思いラジオをつけた。揺れがどんどん大きくなり家具が床を滑り食器棚から調味料がバラバラ雨のように降った。テレビは倒れ本棚が大揺れだったので必死に押さえた。観葉植物が棚から落ち土が散らばった。ベランダに出て外の様子を見た、道の車が路肩に停止していた、ベランダの手すりを押さえてみた、当たり前だが揺れは止まらない。

夕方勤務だった私はパジャマから作業服に着替え、携帯のACアダプターとデジカメと電池類、常備薬、賃貸契約書や保険証書など手当たり次第カバンに突っ込んだ。

ラジオからは焦りまくってうわずり震えてるアナウンサーの絶叫に近い声が流れていた、あんな放送は未だかつて聴いたことがなかった。正確な記憶はないが揺れ始めて15分程で大津波が来る、すぐ高台に避難してください!と叫んでいた。



私は恐怖に怯えていた、
こんなことってある!?!
子どもたちは大丈夫なのか?!
連絡取ろうにも携帯がつながらない。



部屋を飛び出した。泣きそうだった。エレベーターは停止していた。震える足で非常階段を降りていった、

降りて振り返った。皹や欠け落ちた箇所は見られなかった、建っている基礎辺りもなんとか大丈夫そうだった。

車に乗りラジオをつけた。震源地は東北…それしか耳に入って来なかった。



日本がヤバいと思った…



コンビニに行った。公衆電話で東京の母に連絡した。話したら少し落ち着いてきた。

職場に行くと日勤者は皆中庭に避難中だった。その日夜勤は中止になった。



……



あの恐怖感で揺れに対してトラウマとなった。被災された方々には本当に言葉が見つからないほど、恐ろしい体験だったと痛感する。

暫くは1人でいると恐怖が蘇って怖くて仕方ない時があった。8年交際中の彼に伝えた。

休みの日に来てくれた、しかし彼は怒ったり怒鳴ったりしてばかり。小さなことで私にケチをつけ、私の状態を解ってくれようとしなかった。

何が怖いの?あんな大きいのはもう来ないよ、放射能が怖い?揺れ?しょうがねぇだろ?現実を受け入れろよ。

強く生きるんだよ。




そう言った。




以前彼は、現地でボランティア活動したいが諸事考えたら無理かな。と言った。

諸事情の部分では彼の気持ちはわかるが、付き合っている彼女の状態もくみ取れないのに…彼にはメンタル部分でボランティアなんかできないと思う。

8年間がリセットされた瞬間だった。終了。今まで別れたりくっついたり何度も何度もしたけれど今度は本当にさようなら。あなたに向かっての私の心は固く閉ざされてしまった。




地震が私に気付かせてくれたことは大きい。




小さな花は強く生きていく、東で筑波山が見守ってくれる。



りんこちゃんありがとう( ̄ё ̄)チュッ